忍野八海

忍野八海の水は、どこまでも透き通り、深みを覗くと驚くほど青い。富士山に降った雨雪が20年以上かけて大地にしみ込み、湧き出し、八つの小さな海をつくった。いにしえから清浄かつ霊力のある水として、禊(みそぎ)と信仰の対象であった聖なる湧水。実は忍野村全体が、かつては宇津湖と呼ばれる巨大な湖だった。延暦19年(西暦800年)の富士山大噴火で宇津湖は溶岩に二分され、忍野湖と山中湖となった。その後忍野湖は徐々に水を涸らし、その湖底にあった盆地が今の忍野村。そして宇津湖の名残が、忍野八海といわれる。富士山信仰の開祖・長谷川角行によって江戸時代には江戸八百八講といわれるほど盛況を極めた富士講の霊場として、忍野八海は重要な場所だった。しかし、それも江戸末期にはすたれ、それを嘆いた大我講の開祖・友右衛門が、八海にそれぞれ八大竜王を祭り、竜王名と和歌を刻んだ石碑を建立した。

神秘の湧水 ~世界文化遺産構成資産・天然記念物・名水100選・県富嶽100景選定地~

その昔、忍野湖は富士山の噴火活動を何度も経て、徐々に富士 裾野と御坂山系との狭間を水触、掘削排水され長い期間の後、ついに湖は涸れました。しかし。富士山の伏流水に水源を発する湧水池がいくつか残りました。その代表的な湧水池が「忍野八海」です。富士山に降り積もる雪解け水が、地下の不透水層という溶岩の間で数十年の歳月をかけてろ過され、澄み切った水となりました。美しく神秘的であり、移り変わる四季に彩られた富士を水面に映しこんだ姿は訪れた人々に水本来の姿と護るべき美しさをそっと訴えているようにも感じられます。忍野八海は「形状、水質、水量、保全状況、景観、仏教思想(富士信仰)など」の観点から、昭和9年(1934年)に国の天然記念物に指定され、昭和60年(1985年)に、環境庁から全国名水百選に選定されました。また、平成6年(1993年)には、県富嶽百景選定地にも指定されました。

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